My Rustic Style

好きなデザインで、お気に入りの空間作り。

FINALLY

Started.

家のリフォームを始めた。

 

 

気が付けば、人生の半分以上をアメリカで過ごし、あっという間に我が身も我が家もエイジング。人生において、加齢は、経験値や理解/洞察するチカラのブーストでしかないけれど(hopefully)、22年前に建てたクッキーカッター型の我が家にとって、加齢は劣化にしかならず。趣きのある感じで苔生すなら良かったのに。

 

家中の壁には、傷や釘穴を修復した部分の色違いなパッチや、意味不明の黒ずみが、自分の肌のシミの様にじわりじわりと浮かび上がってきている。

壁の状態

↑ 白いスポットが穴の修復後。 こういう白いパッチが、家中の壁に飛び交っている。その上の黒いラインは、夫によれば、梁の部分らしい。天井がピンクに見えるのは、淡いサーモンピンクの壁に反射しているから?

 

床だって、カーペットもリノリウムもめくれてきている。

 

最悪なのは、結婚前から大切に大切に使い続けてきた日本製のウォシュレットが、とうとう生き絶えてしまったことだ。ウォシュレットが25年間もお尻を支え続けてくれたことには、感謝というより、ただただ驚きを伴う畏怖の念しか無い。

そんな長年の親友ウォシュレットとの別れに背中を押され、この度、我が家のリフォームを決断した。

 

と言っても、リフォーム決断理由はそれだけでは無い。

 

決断に至るまで、冷酷非情なバトルが夫婦間で何度も何度も繰り広げられた事は、特筆するに値すると思う。モノを捨てられない病に冒された、片付けられないアメリカ人の雛型の様な夫と、想い出などというセンティメントは一切考慮せず、視界に入る(自分にとっては)不要なモノを容赦無く切り捨てていく妻。「それはまだ使えるようっ!」と、40年以上も前に数回使ったきりのスキー板を庇い叫ぶ夫に、「これはゴミだわ。」と、夫が小学生時代に描いた不気味な銀河系の絵を容赦なく破り捨てる妻。妻が捨てたモノを、拾い集めて隠す夫。そんなバトルがだらだらと20年も続き、未だに歩み寄ることを学べない愚かな夫婦が、昨年の私の両親の突然の死をきっかけに、意識が大きく変わった。特に、夫が変わった。

日本の両親が一人っ子の私に残してくれたのは、感謝の思い、会えない寂しさ、そして一軒家に目一杯詰め込まれたモノたち。ゆっくりお弔いをする暇もなく、実家を含めた遺品/遺産整理には、本当に気が滅入った。それでも元来、思い出の品をずっと慈しむというセンティメンタリズムが欠けている自分なので、業者さんを雇って、比較的あっという間に処分することが出来た。そんな寂しいプロセスの中で、義両親の大量の遺品と向き合う妻の孤軍奮闘ぶりと、業者さんへの支払い額を見て笑、"自分が気に入っていても、他の人にすれば、何の価値もないジャンク”であるということ、"自分の妻や子供たちには、自分の遺したモノで大変な思いをさせたくない"という意思が、夫の中に生まれたらしい。

今年に入って、自ら、リフォーム業者さんにアプローチしてくれた。

 

 

ということで、まずは、家の中で最も難易度の高い地下室から始めることに。何故、難易度が高いか?それは、22年分のゴミやジャンクが捨て置かれているから・・・。

地下室ビフォー

驚くことに、地下室を埋め尽くしていた60%は、夫が捨てられずにいた段ボール箱や古い書類、壊れたモノだった。あとの20%はgive away(寄付)出来た衣類やおもちゃ、家財道具で、残りの20%は、写真やビニール盤、スーツケース、シーズナルなデコレーションなど、今も使っているモノ。

 

業者さんが入る前に、地下室をほぼカラにしなければならず、この作業が本当に大変だったのは、次回にでも記録しようと思う。